2022.12.29 奥会津に生きる

2015年5月、昭和村の古民家ゲストハウス「とある宿」に「からむし(苧麻)」の糸作り体験にやってきた私は、その翌週、からむしの畑体験に来た時には、宿のあるじの麻弓さんに「私、昭和村に住みたいんですけど、どこかに空き家ないですかねえ」と相談していた。

通信大学の卒業研究のテーマをからむしに決めた私は、「村に暮らしながら、からむしの聞き書きをしたい」という思いが止められなくなり、その前日には会社に辞意を伝えていたのだ。

昭和村大芦集落
昭和村大芦集落

6月初めにからむしの本場、大芦集落の農家民宿「とまり木」に泊まり、チェックアウトした所に、ちょうど通りかかったのが五十嵐カヨ子さん(大正14年生まれ)だった。

「昭和村に住みたいんですよ」と話すと、「ここは世界中で一番いい所だから来(く)っといい」と熱心に語る。「ウルイ」という山菜をお土産にドサッとくれて、「今度来っ時はお茶飲みに来(こ)」と笑顔で言ってくれた。

7月、借りる家が決まったのはいいが、床が抜けた家を、「さて、どうしたものか」とカヨ子さんの家にお茶飲みに行くと、ちょうど金子電気店の常一さんがやってきて、空き家の改修ならうちで出来ると言う。「渡りに船」とは、このことだ。実は、前年の秋から必然としか思えない偶然が次々と起こるようになっていた。

カヨ子さんは、からむしの糸を手績(てう)みし、昔ながらの地機で織る熟練の技の持ち主だ。

五十嵐カヨ子さん。2016年4月撮影
五十嵐カヨ子さん。2016年4月撮影

髪の毛も帽子も服もからむしの人形は私の手製人形

家に行くと、大抵、苧(お)績みをしていて、手元にペンと裏紙が置かれている。短歌が趣味なのだ。

からむしを割く手度々休めては浮かびし歌を書き連ねゆく

からむしは績まなければならないから績むのではなく、績んでいないと自分が保てないのだという。

「なーんか不思議なんだよなあ。からむしつかむ(掴む)と安心ちゅうのか、落ち着くっちゅうのか、からむしに助けらっちぇえ生きてられんの」。

ご主人が亡くなり、一人暮らしをするようになって20年以上になるが、からむしを績んでいると、ちょっとくらいの不安は吹き飛んでしまうそうだ。無心に手を動かしていると、短歌のアイデアもふっと沸いてくるという。

歌と言えば、カヨ子さんが3年前に見せてくれた、お姑さんが使っていた麻桶(おぼけ)の蓋の底に、変体仮名でくるりと文字が書かれていた。

オボケに書かれた歌
オボケに書かれた歌

なかきよのとおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな

(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)

上から読んでも下から読んでも同じように読める「回文」だ。江戸~明治期にこの歌が書き添えられた「宝船」の絵を印刷したものを、正月の縁起物として売り歩く人たちがいたらしい。正月二日の夜にその絵を枕の下に敷いて寝ると吉夢を見るという。日本全国で流行ったおまじないだ。

大正の終わり生まれのカヨ子さんの時代にはやらなくなっていたが、隣家にいた明治生まれのおばあさんは、パッと見ただけで歌をそらんじていたそうだ。

夢のための夢ある歌が、山深い里の庶民の間にも広く浸透していた。正月二日に床についた日本中の老若男女の頭の中で唱えられていたに違いない「魔法のことば」を、麻桶に書かれた文字から知ることになった。宝船の揺れと波の音、そして呪術的な回文の調べに、夢見心地になって深い眠りに誘われていった人たちがいたのだろう。

この麻桶とは別に、カヨ子さんが嫁いだ時に作ってもらった麻桶がある。

子どもが踏み台にして底が抜けた麻桶(おぼけ)に貼ってあった紙を剥がしたら、思いがけず、懐かしい父親の手書きの文字が現れた。昭和24年と言えば、カヨ子さんが嫁いだ翌年だ。

「おらいの父親の字や。小学校もまともに行けなかったみたいなんだが、結構いい字書いた人なんだ」。

カヨ子さんの麻桶とからむしを績んだ糸
カヨ子さんの麻桶とからむしを績んだ糸

“松田屋”と麻桶に残る父の筆跡(ひつ)見つめつついて刻は過ぎたり

そして、カヨ子さんはお父さんの思い出話をしてくれる。お父さんが子どもの頃、博士峠まで荷替え(注)の仕事に行って、学校を休まなければならなかったこと、大人になると、一家を支えるために、冬は山で炭焼きをしながら、月夜の晩には鉄砲を持ってバンドリ(ムササビ)獲りに行ったこと。バンドリやウサギやイタチは毛皮が売れるので、板に伸ばして釘で止め、囲炉裏の上で乾かしていたこと。イタチの肉を食べると夜尿症に効くと言われていたこと…。

麻桶の文字から広がる民俗誌がある。麻桶に残る文字が、奥会津の遠い昔にいざなってくれる。


(注)
・かつて馬で荷物の輸送をしていた頃、博士峠のクワザー(桑沢)という場所で会津高田側から載せて来た荷と小野川側から載せてきた荷を取り換えた。カヨ子さんはお姑さんが実父と同級生だったことから、小学校で無断欠席を先生から問い詰められた父が、先生に「博士さ、荷替(ニゲ)えに行ってきました」と答えていたことを知った。 (方言のルビはカタカナで表記。)