わっさとは、遊び、いたずら、技、仕事、ものづくりのこと。
奥会津の暮らしは、わっさで溢れている。
そもそも暮らすこととは、作り出すことから始まる。
毎日の食事も、その食材も、着るものだって、暮らしの道具だって。
深い山と雪に閉ざされた自然に囲まれ、そこからのいただきものから暮らしに必要なものを生み出し、今に繋げてきた先人たちが暮らす奥会津。
ものづくりが、好きだ。ものづくりをする人が好きだ。
高い技術や精緻な技法、丹念な意匠、手間暇かけた工程には、とてつもない敬意を表する。
上手でなくても、きれいでなくても、整っていなくても美しいと心を打たれるものづくりも、この奥会津でたくさん出会った。
歪んでいたり、ほつれていたり、ごまかしてみたりと、どれもが隠したくても隠せない作り手らしさを纏っていた。
いじらしくてこそばゆい、ちょっと恥ずかしくて苛立たしい。
だってそれがその人だ。
他の誰でもない、その作り手が一生の中の一時を捧げて生み出した、その時のその人の分身なのだから。
時に自分でも目を背けたくなるくらい醜いことだって未熟なことだってあるかもしれない。でも、その時の自分以上のものは絶対にできない。
だから、できたものがその時のその人。向き合う覚悟が必要だ。
土臭くて人臭くて、面白くて、安心する。
良い悪い、上手下手では評価しきれない、どんな「くせ」も愛おしさに変わる。
だからものづくりが好きなのだ。
スピードと評価の中で置いて行かれないように必死だった私が、5年前に奥会津に来て、わっさな暮らしの中で見て学んで感じたことは、どんなに努力して情報収集をしても、都会での生活では決して見つからなかったものだった。
そこには、これからの時代を生きるヒントが溢れていた。
直接的な言葉で教えられたわけではない。
日常の会話がそのまま流れていきそうな一瞬に、学びの種がボロボロ蒔かれていたりする。
奥会津で日々を暮らし、地域の人たちに迎えられるなかで、少しずつ、少しずつ、時にドカンと強烈な示唆となって、私という人間を大きく揺さぶり、より豊かにしなやかに成長へと導いてくれた。
それは、人間の力ではどうにもならない「自然」と対話しながら暮らす奥会津だからこそ気づくことができる、生きることへの向き合い方なのではないだろうか。
「わっさな暮らし」では、奥会津で出会うわっさな人々とその暮らし、そこから立ち昇る個性と物語に目を凝らして、これからを生きるヒントを探す旅に出かけたいと思います。