2023.02.28 オピニオン

「夫は木こりです。」

こう自己紹介をすると、一瞬皆の注目が集まる。この時代に、「木こり」という職種がまだ存在しているのか、と思う人も多いらしい。昭和生まれの人には『与作』のイメージが浮かぶかもしれないが、現代の木こりは、斧は使わず、チェーンソーを使う。林業も機械化が進んでおり、「高性能林業機械」という重機類も使用して伐採作業が行われる。

木こり1

うちの木こりは、もちろんそういった機械も使用するが、もっとも得意とするのは、樹上に登って木を伐る「特殊伐採」と言われる分野だ。そういう仕事をする人を「空師」などと呼ぶ向きもあるが、「詐欺師」「ペテン師」「山師」にイメージが連なるようで、夫はその呼び名はあまり好まない。だが、樹高が何十メートルもあるような杉の木や栃の木にチェーンソーを腰からぶら下げて登っていき、上からストンストンと切り落とす様を見ると、「空師」と呼ばれるのも、それなりに納得がいく。

そんな木こりの夫といっしょに林業の仕事をしているわけだが、(といっても私は伐採はできないが)若いときには自分がこんな仕事をするようになるとは想像もしなかった。奥会津で生まれ育ったけれど10 代から20 代の頃は会津盆地を囲む山の向こうを見てみたいという気持ちで、東京や外国にばかり目が向いていた。とにかく外に出ていきたくて、アメリカやインドまでも行ってみた。だけど、結婚して住処として選んだところは、生まれ故郷の奥会津だった。そして、今は木こりの連れ合いだ。人生なんて、本当に先のことはわからない。

東京で暮らしていた時、高校生向けの留学機関で働いていた。外国に留学する日本人の生徒たちに、海外の生活での心構えについて考えてもらったり、来日した留学生やその受け入れ家庭・学校に対して文化的摩擦の解決法についてアドバイスしたり、という異文化交流事業に関わっていた。

「理解するということは、受け入れることだ」という言葉を学生の頃にインドの先生から聞いて、それを折にふれ思い出したり考えたりしてきた。人や物事に対して、私たちはついそれが正しいのか間違っているのかと判断を加えがちだが、これをやっている限り、理解することからは遠ざかっていく。その判断をしないで、あるがままに受け入れることができればそれでいいのだが、正誤とは別に好きか嫌いかということもあるから、受け入れるということは実際大変だ。

これまでの人生を振り返ってみると、結婚生活以上の異文化交流は存在しないかもしれない、とも思う。言葉が通じない国に行くといっても留学などは期間限定の一時的なものだが、結婚はずっと一生涯、さらには子ども、孫と世代を超えて続いていく。もちろん国際結婚は国も文化も違うという前提から始まるが、同じ集落の隣の家とだってみそ汁の味が違うように文化は違う。異文化理解はなかなか奥が深い。

木こり2

林業という分野に関わり、木こりと異文化交流をする暮らしの中で、周囲の山林の現状が以前とは違った角度から見えてきた。山が荒れているとは、どういうことなのか。奥会津の山林を守っていくにはどうしたらいいのか。木を伐採することは、環境にとってどういう意味があるのか。

そんな山と木と草々について、また木こりの思いを、ここに綴っていきたいと考えている。