2026.09.01 奥会津に生きる

帰るところのある旅

遠藤由美子

「山羊に育てられまして・・・」

かなり怪しげなものを食べても、食あたりなどという仕儀には至らない頑健な自分の体を、多少揶揄してそう言うことがある。‟お丈夫な体なんですねぇ“と、感に堪えかねたような顔をされたりする場合は、がさつさも含めてのことが多いので肯定するしかないのだ。

私を産んだあとも母は学校に勤めていて、朝と晩しか授乳させることは出来なかった。山羊の乳がその間を繋いでいてくれた。

しかし、父は忙しくて、乳しぼりをするのも大変だったのだろう。乳飲み子の私を山羊のそばにころがしたままほったらかしにしてみたというのだ。直接自分で吸ってくれたら手間が省けると思ったのだろう。父の思惑どおり、私はためらうことなく山羊の乳房にしがみついた、らしい。

山羊ものんきな顔をしていたので、その日から私は一日の大半を山羊のそばにころがされて過ごすことになった。

実際、私は山羊に育てていただいた。最近では農家でもあまり見なくなったが、山羊に出会うと他人とは思えない。

その当時、山羊はどこに繋がれていたのだろう。

山羊のいた場所が私の揺りかごなのだから、思いを巡らさずにはいられない。

決して清潔とはいえないだろう山羊小屋か、木の陰の草むらか。いずれの場所にしても、草露やハエや蟻、時には糞の混じった土もついていたはずの乳房に、私はかぶりついていたわけである。これを母にさとられないように内緒で行っていたというのであるから、私としては丈夫にならざるを得なかった。

生まれてまもなく各種免疫の洗礼を受けた身体は、おかげで今もって使い応えがある。この財産は両親と山羊との協働がもたらしたものだから、大切に、存分に、使い切らせていただくつもりだ。 父の子育てはかなり過激だったようだ。

深い水甕にかぶさるようにして遊んでいたら、いきなり逆さにされてザブンと頭を水に漬けられたことがある。望んだわけではないのに、大人たちに混じって心細い一人旅をさせられた小学生の時の長い夏は、家々の灯りを見ながら涙をこらえていただけの記憶しかない。哀しみを沈めた過激さであったことをいやというほど知らされたのは、かなり長じてからである。

同時に、いつか必ず来る父の死に対する恐怖が絶えずつきまとうようになった。夢の中で銃口を突きつけられ、もう逃げられない絶体絶命に、いっそ撃たれたらどんなに楽だろうと叫びそうになって眼が覚める感覚に似ていた。

そんな怯えを知っていたのかどうか、晩年の父は高見順の詩の一節を何度も口の端に載せた。

帰る処があるから旅は楽しいのである。

旅の楽しさを楽しめるのも、

我が家にいつかは戻れるからだ

だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり

どこにもあるコケシの店をのぞいておみやげを探したりする

この旅は自然へ帰る旅である

帰るところのある旅だから楽しくなくてはならないのだ

もうじき土に戻れるのだ

おみやげを買わなくていいのか

この詩が「死の渕より」という詩集に収められていると知ったのは、父が亡くなってしばらくしてからだった。原文とは少し違うところもあったが、耳に馴染んでしまったのでこちらのほうがしっくりする。

現身を捨て去って赴くところこそ、「帰る処」。その道行きは楽しいはずだと、好きな旅行に出かけるように笑って言うのだった。

あちらとこちらを行き来するようになった死も間近い頃、眠ったまま口元に笑みを浮かべていることも多くなった。

何を考えているのかと問うと、

「とってもいいことだ」。

そう答えて、笑みを消さずにまた眠りに入るのだった。

-おみやげを買わなくていいのか-

というくだりでは、決まって声を詰まらせていた父だが、どんなおみやげを持って行ったのか、再会した折に聞こうと思っている。それには私自身のおみやげも見せなくてはならないだろう。

しかし、その時が近い今になっても、持てる土産が、ない。 

(福島民報 ラウンドエッセィより転載)